ビクトリア・シアター&コンサート・ホールで、美しい音楽に身を委ねて。

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シンガポールの舞台芸術の草分け的存在で、 シンガポール交響楽団(SSO: Singapore Symphony Orchestra)の本拠地でもあるこの施設は、そもそも、舞台芸術専用のホールではありませんでした。劇場併設のタウンホールとして1862年完成したものの、劇場としても、庁舎としても手狭になったのです。

1901年には、その年の1月に逝去したビクトリア女王を追悼するため、メモリアルホールの建設が決定。タウンホールは、メモリアルホールの一部として設計されました。ビクトリア・メモリアル・ホールは、タウンホールに隣接して建設されました。ファサードはパラディオ式で統一され、2棟をつなぐ時計塔が建設されました。タウンホールの名称は、「ビクトリア・シアター」に変わりました。今日、シンガポールを象徴するランドマークとして、市中心部に存在しています。

新しい始まり
舞台芸術専用シアターではなく、タウンホールとして始まったビクトリア・シアター。

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1979年、ギャラリーが増築され、ビクトリア・メモリアル・ホールは「ビクトリア・コンサート・ホール」に改名。シンガポール交響楽団もここに拠点を移しました。しかし、先駆者であっても、常に革新が求められるもの。それは、ファサードや遺産的要素を守りながらも、音響や設備を改善した最近のリノベーションを鑑みても明らかです。

シンガポール交響楽団は、現在、ほかの場所で演奏を行っていますが、このビクトリア・コンサート・ホールが今年後半に再開すれば、この神聖なホールは再び音楽で満たされることになります。