人物紹介
リチャード・コー
フィンテック起業家
フィンテック革命の最前線で
扶養家族が多い身に、無給の8か月はあまりにも長い時間だったはずです。しかし、情熱がリチャード・コー氏の夢を灯し続けました。
シンガポール生まれのテックスタートアップ「M-DAQ」の創業者で、最高経営責任者も務めるコー氏は、通貨の壁なき世界を創るという夢をもっています。
9年を経て高収益企業となった今、M-DAQの企業価値は3億シンガポールドルを超えています。とはいえ、車と家を売り払い、家族に借金を頼まねばならなかった時期をコー氏が振り返ると、それは楽な道のりではありませんでした。
「この夢を叶えたいと全員が感じていて、その情熱が私たちの背中を押してくれました」と語るコー氏です。
外国為替取引(FX)上のリスクを最小限に抑えるという同社のゴールは、買い手が資産価格を自国通貨で確認できる自社開発特許技術をベースにしています。
2015年、中国系決済企業アントフィナンシャル社がインターネット巨大企業アリババの傘下に入り、M-DAQのシリーズC資金調達ラウンドに参加しました。これが、その後、AliExpress(アリエクスプレス)が新規市場参入のためにM-DAQの技術を採用することにつながります。
M-DAQは、さらに、シンガポール証券取引所とタイアップして、投資家が選択した通貨の株価をリアルタイムで見るためのプロトタイプソリューションを開発しました。
同社の原動力は間違いなくコー氏のビジョンですが、成功に資したのは「チームが、達成しようとしているミッションとビジョンを心から確信していること」だったと コー氏は言います。
スタートアップのマインドセットを育む
シンガポールに拠点を置くことも、M-DAQ成功を支える主要因の一つでした。コー氏によると、「ビジネスを始めるには理想的な場所」だそうです。
コー氏は意気込んで語ります。「シンガポールには、透明性が高いと世界に認められている非常にオープンな経済と金融システムがあります。そのおかげで、資本パートナーシップと戦略的パートナーシップの両方を引き寄せることができたのです。何より、人材を引きつけることができました」
シンガポール政府機関は、コー氏が言う「スタートアップコミュニティのマインドセット」を育て、財政面を含めあらゆるかたちで支援しました。事実、シンガポール経済開発庁(EDB)は、同社創業当初の数年間に150万シンガポールドルの助成金をM-DAQに提供しています。その6年後、EDBの投資部門は、シンガポールに拠点を置く企業の初期段階に投資し、M-DAQの株主になりました。
同社の取引のうち90%は海外ですが、シンガポールの電気通信インフラストラクチャには信頼があるため、M-DAQは大半の事業をクラウドコンピューティング経由で一元管理できています。
こうしたたくさんの特性によって、多数のスタートアップが都市国家シンガポールを本社拠点に選んだと考えられます。クアラルンプールからシンガポールに拠点を移したユニコーン企業、グラブ社もその一例です。
グローバルフィンテックビレッジ
具体的に言うと、金融技術の領域で、シンガポールは強力なパンチ力を秘めています。米国の法律事務所リード・スミスの調査によると、シンガポールは、今後2年以内に3大グローバルフィンテック拠点の一つとして浮上する可能性が低くありません。1また、アクセンチュアのレポートによると、シンガポールにおけるフィンテック投資は、2年前の1億8,000万米ドルから、2018年にはその2倍を超える3億6,500万米ドルになりました。2
シンガポールの中央銀行であるシンガポール金融管理局(MAS)は、多数のイニシアチブを通してシンガポールのグローバルフィンテック拠点としての地位を提唱し守ってきた存在です。そのイニシアチブの一例が11月開催の年次Singapore Fintech Festivalの企画ですが、昨年は127か国から45,000人が参加し、世界最大のフィンテックイベントとしての地位を固めました。
「1週間のフェスティバルで、様々な企業とのネットワークを築くことが可能です。上流のサプライチェーンから、戦略的パートナーシップの構築、潜在的な投資家の開拓もできます」とコー氏は述べます。
昨年参加した380の投資家は同フェスティバルの取引プラットフォームMATCHに登録しています。これは、122億米ドルを今後数年間に投資する意思があるということです。3
コー氏によると、Singapore Fintech Festivalなどのイベント開催地として好立地のシンガポールは、東西が交差する戦略的位置にあり、参加者が東西の一番の長所を活かせることがその魅力です。
「ここでは、海外から来てもよそ者気分になる人はいません。食、人、文化、あらゆる面でシンガポールは非常にダイナミックでグローバルです。シンガポールはグローバルヴィレッジのようなものなんです」とコー氏は語ります。
ほかに注目すべきMASイニシアチブとしては、最初期に中央銀行がフィンテック企業を対象に採用した「規制のサンドボックス」などが挙げられます。これにより、新しいアイデアをもつ企業は、自社の製品・サービスを完全展開する前に、コントロールされた環境で試すことができます。
シンガポールの中央銀行はさらに、フィンテックのつながりを強化するために、日本や米国、インドネシアなどの国々との協定も交わしました。
MASは、長官で中央銀行のマネージングディレクターを務めるラヴィ・メノン氏に「生真面目な規制者」と言わしめる一方で、「イノベーションの促進に積極的で、イノベーションを促す環境の醸成を進めつつも、その健全性には妥協しない」と評価されています。4
東のシリコンバレー
10年前を振り返ってコー氏が思い出すのは、資本をシンガポールのスタートアップに提供するよう海外のファンドを引きつけることが非常に難しかった時期のことです。しかし、事態は劇的に変わりました。
シンガポールのベンチャーキャピタル投資は、昨年、2012年の30倍を超えたと言われています。5
コー氏は、自らの出身地を「東のシリコンバレー」とすら呼んでいます。
コー氏はこう説明します。「多くのベンチャーキャピタルが今は現地オフィスを構えており、資金は地域で調達されています。その大部分は、シンガポールで法人化されたスタートアップに提供されます。私たちはこの場所を、地域や世界に広げる前に実験してアイデアを醸成する場所と位置付けています」
国や産業にこれだけの資金が流れ込んでいるので、起業家がシンガポールに集まることは少しも不思議ではありません。
「実際には、信念が支えてきた道のりだったと言わざるを得ません」。「ここでは、夢と夢を実現する情熱をもっている限り、あなたを止めるものはありません」
1https://www.scmp.com/business/companies/article/2173270/fintech-ma-deals-set-grow-globally-over-next-two-years-according
2https://www.straitstimes.com/business/invest/spore-fintech-investments-more-than-double-to-492m-in-2018-accenture
3https://www.mas.gov.sg/news/media-releases/2018/singapore-fintech-festival-attracts-us12-billion-of-capital-for-asean-enterprises
4https://www.bloomberg.com/news/articles/2018-11-09/fintech-and-the-monetary-authority-of-singapore-interview
5https://www.sgsme.sg/news/startups/coming-bust-venture-capital-spore-may-be-worst-hit